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この記事のみを表示する「アンダーグラウンド」と村上春樹、そこから続く現在の話

本・漫画・映画

アンダーグラウンド (講談社文庫)アンダーグラウンド (講談社文庫)
(1999/02/03)
村上 春樹

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このお盆休みの間、読んだ本について書きましたので上げておきます。
できるだけ分かりやすく簡潔に、と思ったのですが、異常に長くてややこしい内容に
なってしまいました……_(:D」┌)_

こんな長い記事を読む奇特な人はあまりいらっしゃらないとは思いますが、
せっかく書いたので以下にたたんでおきます^^;
気が向いた方だけご覧ください。





先日、物置で探し物をしていたら、偶然に村上春樹著「アンダーグラウンド」が掘り出されました。
1995年3月に起こった地下鉄サリン事件の関係者62人に村上さんがインタビューを重ね、
それをまとめた長大なノンフィクション作品です。
奥付を見てみると、文庫版の初版が1999年になっています。今から15年前。
多分、単行本が出たのはそれから2年ぐらい前?のことでしょうか。
今となっては昔過ぎて時系列がはっきりとしないのですが、この作品の前に書かれたのは
確か「ねじまき鳥クロニクル」だったと思います。
こちらの作品がとても素晴らしかったので、次回作を心待ちにしていた当時の私は、小説作品で
ないものを村上さんが出されるということを知り、ちょっとがっかりしたような記憶があります。

かつての自分がこの「アンダーグラウンド」という作品をどんな気持ちで読み、
そこから何を読み取ったのか、今となってはあまり思い出せません。ただ、当時は現在よりも
世の中の事象に関心が薄かったのは確かなので、うーん、こういうものよりはやっぱり
小説作品を書いて欲しい、と思っていたところはあったかも(笑)
しかし今回、何気なくこの本を読み直してみて、この作品の意義の深さに強く感銘を受けました。

基本的に、この作品はおおよそ60人の関係者の方々のインタビュー記事を並べて載せてあります。
筆者(インタビュアー)の意図や思いはなるだけ排除されるように作られています。この人たちから
こういう言葉を引き出したい、こういう結論を導き出したい、というような作為を消すための最大限の
努力がなされているのを感じます。
インタビュイーを公募せずに、事件当時に発表された関係者の名前を元に協力して貰える
人を自分達で探しだし、直接取材を依頼し、それを受けてもらえた方の言葉を載せるというやり方を
取ったのも、そういう努力の中の一つだったようです。公募でインタビューを受けてくれる人を
募ったほうが作業的にはずっと早くて簡単だったと思うのですが、作中で村上さんご本人が語っている
とおり、それをやってしまっていたら多分、この本の本来の意図とは違うニュアンスに変わってしまった
可能性が高かったのではと思います。

この本に出てくる人々は皆「地下鉄サリン事件」という出来事に遭遇し、多かれ少なかれ
それぞれの人生に影響を受けた人々なわけですが、それらの記事を読んでも「では、この事件は
一体なんだったのか?」という答えを提示するものではありません。そういう風な「答え」を
期待すると裏切られるかもしれません。
この本が出た当時、本書についてどういうレビューが書かれたのかは分からないのですが、「思ってたのと
違った」と感じた人もいらっしゃったかも?という風に思いました。
一般に、ある一つの事件をテーマに扱ったノンフィクション作品といえば、事実に照らした分析的な
「答え」のようなものを期待される場合が多いだろうし、それがなきゃスッキリしない、という人も
いらっしゃるんじゃないかな。
作中にもたびたび出てきますが、インタビューを受けた方々の中には、この事件についてのマスコミ取材を
受けた結果、自分の言いたいこととは違う形で報道をされてしまい、その手のものに対する非常に強い
不信感を持っていらっしゃるという人も少なくはなかったようです。おそらく村上さんがやりたかったことは、
そういう取材とは対極にあることだったのかな、と思います。
例えば一般的マスコミ取材が「ごちゃごちゃに絡まった糸のどうしようもなく解きほぐせない部分を
ハサミで切り落として、一本のキレイな糸にまとめなおしたもの」だとすれば、この方はそういった
「どうしようもなく解きほぐせない部分」をそのままの形として保ちながら少し見やすい状態に
整えて、そのぐちゃぐちゃとした混沌にじっくりとフォーカスを当てたかったのではなかったのかな。
この二つの作業は全然別のものであり、後者の手法を選んだのが村上春樹さんだった、というのは
今だったらなるほどなぁ、と頷けるところが大きかったです。

なるほど、と思った理由は、この方が優れた「物語作家」であるからです。
この本に載っているインタビューが最初に行われたのは、地下鉄サリン事件が起こって10ヶ月程経った頃です。
本作がノンフィクション作品に分類されるのは確かなのですが、一人一人の語った言葉が果たして
「事実」そのものであるかどうか?10ヶ月の間に、この出来事はそれぞれの人の記憶の中である程度
改編され、もしかしたら本当の事実とは異なったものへと変質しているかもしれない。記憶とは
案外そういう曖昧な面があるものだと思います。ここで問題なのは、そこで語られたものが完全な「事実」で
なければならないのかどうか、という点です。本文を読む限り、村上さんはあまりそういう風には思っていなかった
ようです。あとがきである「目印のない悪夢」という章にある言葉を借りれば、「ときとして不整合は整合に劣らない
くらい雄弁になる」という言葉がありました。
ちなみにこのあとがきは、地下鉄サリン事件に関する作者の所見のみならず、村上春樹という人ご自身の
仕事に対する態度や思いがとてもよく現れていて読んでいてすごく興味深かったです(話がそれるので今は
そちらはちょっと置いときます)
不整合を含む「語られた話」――すなわちそれは、この事件に関わった一人一人がそれぞれに抱く「物語」なのだと
思います。それを物語作家である村上さんがこれ以上ないくらい丁寧な手法ですくい取っていったというのは、
やはりこの方の小説家としてのキャリアが大きく関わっているのだろう、と思ったわけです。

この「物語」という言葉は、人によっては「事実ではない空想の産物」といったイメージとして捉えられるものかも
しれませんが、この本の中ではもっと切実なものとして書かれています。
ある意味、この「物語」という言葉がこの本の最大の鍵である気すらします。
特に、あとがきにあったオウム真理教(あちら側)が差し出す「物語」という話のくだりは面白かったです。
(それについて全部は書ききれないので、ご興味持たれた方は本を手に取ってみてくださればと思います^^;)


小説という形で村上さんがいつも描こうとしているものは、直接的に言語化できない何かであり、そういう
「言葉にならないもの」を言葉を使って描く人を私は「物語作家」だと思っているのですが、この本の中でも
村上さんは、その「直接的に言語化できないもの」を、いつものように「物語」を通して現そうとしたのでは
ないか、という気がしています。それまで(「ねじまき鳥クロニクル」まで)の作品で、彼は多分、自分自身の
内面にその物語を見出してきたのだと思うのですが、本作ではそうではなく、62人の人々の経験の記憶
という「物語」を通してそこにある何か(それは多分、あとがきのタイトルである「目印のない悪夢」と表現される
ものかもしれません)を浮かび上がらせようとしたのではないでしょうか。
私は「アンダーグラウンド」以前の村上作品が大好きで、何度も読み返している作品もいくつかあるのですが、
実を言うと、この作品以後の彼の著作を以前のようには読めなくなってしまいました。
多分それは、彼の描くものが「自分の内なる物語」から、「他者の物語」へと変わっていったからではないかと
思っています。そしてその大きな転換は、この「アンダーグラウンド」という作品を経てもたらされたのではないか、
という風に考えると、いろんなことがとても腑に落ちるのです。
私は多分、村上さんのことが大好きで(笑)、だから別の誰かの物語ではなく、この人の物語が読みたかったん
だろうと思います。
しかしながら、そういうご自身の物語については、多分「ねじまき鳥クロニクル」という作品で一応の決着を
みたんじゃないかな。これはあくまで私の個人的印象でしかないのですが、そういう風に感じます。
この「アンダーグラウンド」という作品がもたらしたものは、村上さんにとって絶対に必要なもので
あっただろうし、この作品を通して村上春樹という作家の懐は一段と広くなったのだろうとも思います。

そういうわけで、最近の村上作品はあまり読めていないのですが、その一方で私はずっと村上作品のファンで
あり続けているのだろうな、と、この本を読んで思ったりしました。
最近の小説にどうしても手が伸びなかった理由が自分なりに発見できて、何となくスッキリした気分です(笑)


そういう個人的な話を抜きにして、記録的な意味でもこの作品はとても大きな意義があると思います。
それはきっと、年月を経るごとに貴重なものとなっていくことでしょう。
最後の章に「私たちはこの巨大な事件を通過して、いったいどこに向かっていこうとしているのだろうか?」という
文章がありました。
地下鉄サリン事件以降、世界でも日本でも、それまでの常識が打ち砕かれるような衝撃的な事件、災害が
頻発しています。そういうものを見ていくときに、この本は多くの示唆を与えてくれます。
十年以上も前に書かれたこの本はずっと、日本が今まさに抱える様々な問題を強く照らし続けているのです。





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