猫とワタシ

Wandering Note

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この記事のみを表示する共感についての考察

つぶやき


記事、いいペースで連投…!(多分これ以上は続きませんが^^;)
ふと考えたことをまとめたので、備忘的に置いておきます。

ややこしい長めのお話なので、ご興味ある方だけご覧ください。

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追記: 一つ前のお人形記事に拍手ありがとうございました~(≧∀≦)ノ





時々、日本人の性向について考えることがあるのですが、よく外国人に言われる
日本人のイメージとして

・自分の意見を言わない
・常に曖昧な笑みを浮かべていて、何を考えているのか分からない

みたいなところはあったと思います。
ジャパニーズスマイルってやつですね。
最近の意見は聞いてないですが、どうかな。

でも確かに、みんな、自分の意見ってあまり言いませんよね。場を波立たせ
たくない、何となく「こうだよね」的な空気を探って着地点を見つけていく、
みたいなやり方で物事を進める場面が多いような気がします。
実際、ガンと対立意見をぶつけてくるような人は、煙たがられる傾向にあるのは
確かかも。

そのベースにある考え方は「自分と人とは共通するものがあるから必ずどこかで
折り合いを付けられる」という強固な信念があるからではないでしょうか。
あなたと私の考えは繋がっている、だから敢えて対立しなくても「共感」と
いうところで絶対に折り合えるはず。
…というふうに、「共感」にとても大きな信頼を置いている。
日本ってそういう社会のような気がします。だから、一つ事件が起こって、
「これはおかしい」という風潮ができると「共感できない」という感情をみんなが一斉に
表明して、不安要素を徹底排除するとともに、それを皆で共有して「分からないよね、
そうだよね」と納得して安心しようとするんではないかな。

共感というのは、人が人として生きるうえでとても大事なことだし、それによって
救われることは本当に多いのだと思いますが、共感という感覚に優れた人種で
あるがゆえに起こるマイナス面というのもあるような気がします。
私も以前は「同じ人間なんだから、どこで暮らしていても根は一緒」と思っていたし、
ある面でそれは実際真実だとは思うのだけど、完全にそうとも言えない面も
あるんではないかと思うようになりました。…というか、そういう風に考えて物事を
進めたほうが、結果的によいほうに繋がるのではないかな、という風に思うように
なったというべきでしょうか。

「必ず分かり合える」という前提で人と対峙した場合、それが裏切られた
ときにくるものは、理解不能なものへの嫌悪感、異物感で、最終的にはそれが消えて
なくならない限り、安心できず、結果的に弾圧するという方向に行きがちになるので。
分かり合えない、という前提に立ち、そこで誰もが自分の立ち位置をきちんと表明
する形が自然な社会になれば、自ずと「自分はこうだけど、そうでない人間もいる」という
ことを認めざるを得ない、というか、少しはそういう事実があるということに嫌悪を感じず
目を向けられるようになるんじゃないかな。
それでもやっぱり自分と違うものに対する違和感はあり続けるし、なくなることは決して
ないとは思いますが、一体ではない世界で、自分達は分かり合えない人たちと
隣り合って生きているのだというところの認識を持つだけで、物の見方は大きく変わって
くると思います。

「世間」という言葉の持つ、人を包括する一体感は、そこに含まれる安心感が
あるとともに、とても窮屈であり、そこから逸脱する人に徹底的に厳しい社会であると
同時に、有事の際にはとても危うい社会になり得るとも思います。
「自分とは分かり合えない人が世の中には存在するのだ」という風に思うことで、
他人を自分と切り離して考えられる思考を身につけられたら、少しは「世間」の
持つ危うさから脱することができるんじゃないかな~とか思いました。



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